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幸福の王子が伝えたいことは?皮肉や自己犠牲について考察【感想文】

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みなさんは、幸福な王子を読んだ記憶がありますか?

ひよこ
ひよこ

読んだ記憶ないな~
どんなお話だっけ??

ビションフリーゼ
ビションフリーゼ

子どものころに読んだっきりでもう完全に忘れたなあ

子どものころに読んだことがあるかたは多いのではないでしょうか。

しかし、大人になって再び読んだことはありますか。

もう内容もほとんど覚えていないかたも多いかもしれません。

この記事では、オスカーワイルド好きのライターが、大人になってから読み返したオスカーワイルド著書の『幸福の王子』が伝えたいことを考察してまとめます。

幸福の王子が伝えたいこと①〜自己犠牲について〜

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一見すると、幸福の王子は自分を犠牲にしても他人の幸せを願うことのすばらしさ、自己犠牲によって得られる幸せをこの物語は伝えているように見えます。

初めて読んだときや子供のときは、自己犠牲について理解できればいいと思います。

ただ、わたしは自己犠牲の素晴らしさだけを伝える話ではないと思います。

王子とツバメの自己犠牲についてもっと踏み込んで、果たしてこれで本当に良かったのかなど考えていくことが最も重要であると思います。

自分が王子と同じ立場だったら何をするのか、貧しい人々を助けるためにもっと良い方法はなかったのか考え続けて、自分なりの正解を見つけ出すことが大切です。

幸福の王子が伝えたいこと②〜報われないこともある〜

王子とツバメは、貧しい人々を助けようと宝石や金箔を配ります。

しかし、最終的に二人とも志半ばで死んでしまいます

街の人々は二人の気持ちなど全然知りませんし、銅像も引きずりおろされ、ツバメの亡骸も捨てられてしまいます。

最後の神様も天国に連れてきてくれるだけで、二人が再び一緒にやりたいことをやる機会は与えられません。

ときには、どんなに努力をしても報われないことがあるのだと伝えていると思います。

幸福な王子は怖い、嫌い、ツバメが可哀想と言われる理由もぜひ一緒に考えてみてください。

幸福の王子が伝えたいこと③〜社会や王子に対する皮肉〜

王子が宝石や金箔を失ったあと、王子の像は引きずり下ろされ、町の権力者の顔は醜く歪み、今度はオレが町のみんなに崇拝される像になってやる、と意気込みます。

これは、人々がなぜ幸福の王子がみすぼらしくなったのかなど何も考えず、欲におぼれている愚かな姿を如実に表現しています。

宝石や金箔を王子からもらった人もそれを元手に人生を立て直したでしょうか。

子どもは死なずに済んだでしょうか。

何も書かれていませんが、きっと宝石や金箔を手に入れたとてそれは一時しのぎでしかなく、その後また元の生活に戻ってしまいます。

おそらく、ほとんど何も変わらなかったんですよ。

だから、人々は王子がみすぼらしくなっても気にも留めない、自分たちのことばかり考え、権力者は自分の像を立てたがるのです。

幸福の王子が伝えたいこと④〜本当の幸福とは何か?〜

王子とツバメの本当の幸せは一体どこにあったのでしょうか。

一体いつ二人は幸せだと感じていたのでしょうか。

人によって幸福だと感じる瞬間は違います

二人の本当の幸せを読者のわたしたちは考えますが、答えはなく、どのように考えても正解でしょう。

本当のところは彼らにしかわかりません。

幸福の王子が伝えたいこと⑤〜考えること〜

この物語は、読み手の数だけ感想が違います

その一人の読み手も歳が違えば、環境が変われば感想は異なってくるでしょう。

上記の王子の行動が結局報われなかったことについても、一体なぜだったのか、どうすればよかったのか、これらのことを考え続けることが、きっと大切なのです。

王子とツバメの行動は現実の状況にも自分自身にも置き換えることができます。

一体自分が何をしたくて、そのためには何をすべきなのかそれらを考える一つの機会になるのではないでしょうか。

幸福の王子を読んだ感想文

わたしが大人になってから幸福な王子を読んだ感想を書きます。

子どもの頃読んだときとは、まったくちがう印象を受けました。

子どもの頃は、王子とツバメはいい行いをしていたのに、現世では報われず、天国で幸せになったと思っていました。

しかし、読み返せば読み返すほどいろいろなことを考え、感じました。

「本当に王子とツバメの行いは善行で、自己犠牲なのか」

「一見善行に見えるが、果たして宝石や金箔を与えるだけで、人は幸せになるか」

「与えるだけは問題解決にならず、ただの自己満足じゃない?」

「本当にハッピーエンドなのか」

天国には行けましたが、王子もツバメも離れ離れになり、永遠に神に奉祀しつづけます。

それも望んでないであろう環境で、望んでないであろう方法で、きっと王子と燕の幸せはそこではないと思います。

恐らく王子とツバメは、人々に宝石や金箔を配ってるときが、一番幸せだったのではないかとわたしは考えます。

幸福の王子は宝石を失っていき、街の象徴ではなくなっていきます。

その街の人々は、「幸福の王子はずいぶんみすぼらしくなって、全然幸せではないなあ」と思ったことでしょう。

他人から見た幸福と本当に本人が感じる幸福とは違うということをよく表していると思います。

ただし、その幸福は一瞬にして終わり、今まで何もなさず、社会悪を傍観し、自己満足や偽善で済ましていたことに対して、罰を受けます。

最後の天国の場面は、わたしは罰だと考えます。

なぜなら、王子とツバメは貧困の人々を助けたかったのに、これからは永遠に神を賛美しなければならなくなったからです。

これでは「快楽」が幸福だった王子の前世と同じ環境、ただもう王子は前世の王子とは違うため、この環境は苦痛でしかないでしょう。

そして、たった一度だけ出てくる「可哀想な王子」という表現にわたしはすごく引っかかりました。

その時の王子はどんな気持ちだったんでしょう。

今のわたしには王子の気持ちをどんなに考えてもうまく言葉では表現できません。

この童話は、読み手によって感じ取り方が変わると思います。

十年後、読み直したらわたしは何を感じ、どんな感想を抱くのか、おそらくこれから先読み返すごとに変わっていくと思います。

そこが、幸福な王子の一番の魅力であり、愛されて続けている理由ではないでしょうか。

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幸福の王子の物語あらすじ

幸福の王子のあらすじについて簡単に紹介します。

ある街に「幸福な王子」と呼ばれる像が建っていました。

かつてこの国で、幸福な生涯を送りながら若くして死んだとある王子を模して、建てられたものでした。

両目には青いサファイア、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていました。

この王子は街の人々の自慢でしたが、人々はその像に死んだ王子自身の魂が宿っており、自我を持っていることを知りませんでした。

王子はかつて宮殿にいた頃には知らなかったこの街の貧しいさや不幸な人々を知り、嘆き悲しんでいました。

エジプトに向かっていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然、大粒の涙が降ってきます。

王子はこの場所から見える不幸な人々に自分の宝石をあげてきて欲しいとツバメに頼みます。

ツバメは早く南へ渡りたかったのですが、言われた通り王子の剣の装飾に使われていた美しいルビーを病気の子供がいる貧しい母親に届けました。

王子は片目のサファイアを飢えた若い劇作家に、もう片方を幼いマッチ売りの少女に持っていって欲しいと言い、ツバメは目が見えなくなると忠告しますが、結局言われるがまま両目のサファイアを届けます。

街に残り、王子と共に過ごす決意をしたツバメは、街中を飛び回り、両目をなくし目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせます。

王子はツバメの話を聞き、まだたくさんいる不幸な人々に、自分の体の金箔を剥がして分け与えて欲しいと頼みます。

やがて冬が訪れ、宝石を失った王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも徐々に衰え、弱っていきます。

自らの死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり、目の見えない王子にキスをし、やがて彼の足元で力尽きます。

その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立て二つに割れてしまうのでした。

みすぼらしい姿になった王子の像は街の人々によって取り外され、溶鉱炉で溶かされます。

しかし、鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられました。

天国では、地上の様子を見ていた神が、天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ天使を遣わせます。

天使はゴミ溜めから王子の鉛の心臓とツバメの骸を持ってきます。

神は天使を褒め、そして王子とツバメは神の楽園で永遠に幸福になりました。

幸福な王子の作者「オスカー・ワイルド」人物像

オスカー・ワイルド(1854-1900)は、ヴィクトリア朝時代のアイルランドのダブリンで生まれます。

プロテスタントの家柄で、彼は医師である父ウィリアムと詩人である母ジェーンの下で、幼い頃より高度な教育を受けて育ちます。

20歳の頃、彼はオックスフォード大学に進学し、様々な講義やサロンに参加してルネサンスについて学びました。

そして、デビュー作である長詩「ラヴェンナ」を刊行した後、大学を首席で卒業しました。

その後、執筆を始め、30代半ば頃から40歳はじめにかけて、たくさんの作品を書き、文学的に成功しました。

ただ、彼の唯一の小説「ドリアン・グレイの肖像」は、当時は不道徳だと批評家から攻撃されました。

また、彼は様々な芸術家や俳優たちと出会い、性別に囚われない自由な恋愛を謳歌していきます。

アメリカ各地で講演を行って稼ぎながら、多くの詩人や作家たちとも交流を深めていきました。

しかし、彼は世紀末耽美主義の代表的な作家で、変わった作風に、派手で奇抜な格好、男女とも恋愛するため彼を嫌う人も多かったようです。

そして、1884年に結婚して2人の息子を授かります。

ところが、1891年に16歳年下の文筆家アルフレッド・ダグラス卿と恋人関係となったところ、ワイルドはダグラスの父であるクイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスによって交際を卑猥行為として咎められてしまいます。

ワイルドは、投獄されてしまい、破産までさせられてしまいます。

服役後、彼は偽名を使ってダグラスと共に各地を放浪しますが、既に彼は世間から見捨てられた存在となっていました。

そして、1900年に逃げるようにパリを訪れていたワイルドは、梅毒による脳髄膜炎によって死亡しました。

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幸福な王子の参考文献

幸福な王子はさまざまな出版社から和訳本が出版されています。

ここでは、有名な幸福な王子の和訳本をいくつか紹介します。

上記の3冊はいずれも大人向けに翻訳されています。

また、幸福な王子の話だけでなく、ほかにも何篇か短いワイルドの童話がまとめられています。

岩波文庫の幸福な王子 他八篇が一番新しく、わたしもこれを読んでおり、とてもおすすめです。

光文社古典新訳文庫の『幸福な王子 / 柘榴の家』は古すぎず、多くの読者の方がいる一冊です。

新潮文庫の幸福な王子―ワイルド童話全集は、改訂版が出ているものの少し古いですが、安定の一冊です。

まとめ:幸福な王子に学ぶ幸せとは

以上、幸福な王子について考察し、わたし自身の感想を述べてきました。

ひよこ
ひよこ

子ども向けのお話だと思ってたけど、大人になってから読んでみるのも面白そうだね

ビションフリーゼ
ビションフリーゼ

子どものころに読んだときは印象が全然違ったなあ

幸福な王子は読む人によってかなり感想が異なってきます。

幸せとは何なのか、その問いの答えも人の数だけあるでしょう。

みなさんも一度幸福な王子を手に取って、幸せとは何なのか、幸福な王子を通してワイルドは何を伝えたかったのかについて考えてみませんか